マン派最後のピアニスト、としばしば謳われるように、 アール・ワイルドは伝統的なロマン派ヴィルトゥオーソ・作曲家たちの系譜に属するピアニストであり、 偉大なるピアノ・作曲の名手として国際的に広く知られている。 超人的ヴィルトゥオーソ、また 20 世紀最高のピアニストの一人としても知られるが、それはワイルドが 70 年以上にもわたり 世界を股にかけて演奏活動を続けてきた伝説的な人物であるからであろう。 もちろんワイルドはフィリップスのシリーズ『 20 世紀の偉大なるピアニストたち』にも、主に ピアノ・トランスクリプション作品を中心に収録された二枚組みのディスクで参加している。 またワイルドはタイム・マガジンにも二度、大きく取り上げられている。最近では 2000 年 12 月の 85 歳誕生日記念に、歴史的に名立たる音楽家たちの後に名を列ねるであろう数少ないピアニストの一人ワイルドは、 どんなに難曲でも楽々と演奏してしまうほどの技術の持ち主である、として掲載された。

アール・ワイルドは 1915 年 11 月 26 日にペンシルヴァニアのピッツバーグで生まれた。 子供の頃、ワイルドの両親はよくオペラの序曲をエジソンの蓄音機で流していたのだが、 まだ幼い子供だったワイルドはその再生中にピアノの前に立ち、蓄音機の演奏と同じ音をピアノで正確に弾き分けることができたのである。 弱冠三歳てにして絶対音感という稀有な才能を示したワイルドは神童と呼ばれ、これ以降彼のピアノのテクニックは急速に発達して行くのであった。

6 歳の時にはワイルドは既に流麗なテクニックを身につけており、楽譜も楽々と読みこなすことがでるようになっていた。 ワイルドはまた 12 歳になる前に、作曲家・ピアニストの巨匠として知られるフランツ・リスト(1811〜1886)の弟子の アルバート(1864〜1932)やシャルヴェンカ(1850〜1924)等と共に学んだかのセルマー・ジャンソンの弟子となった。 その後ワイルドはピッツバーグのカーネギー工科学会で、芸術的才能に恵まれた若者のためのプログラム(現カーネギーメロン大学)に属することになる。 そしてカーネギー工科大学を1937年に卒業する。19 歳になるまでにはワイルドはいくつものコンサートをこなすようになっていた。 彼は他に、オランダのピアニストでフェルシオ・ブゾー二(1866〜1924)の弟子のエゴン・ペトリ、パドリュースキーとラヴェルの弟子で、 フランスでは極めて有名なピアニストであるポール・ドグエロー、ロシア人ピアニストのサイモン・ベアーの妻であるヘレン・ベアーに師事した。

10 代にもかかわらずワイルドは既に、地方の放送局でよく演奏されていた室内楽の曲を数多くピアノ曲へと編曲していた。 そしてワイルドはピッツバーグにあるアメリカ最古の KDKA ラジオ局に最年少で招かれることになり、そこで定期的に演奏するようになった。 オットー・クレンペラー指揮の下ピッツバーグ交響楽団でピアノとチェレスタを担当することになったのはまだ 10 代前半のことであった。 ワイルドはその驚異的なピアノのテクニックと抜群の音感、高貴かつ上品で並外れたピアノの手腕と初見・即興的演奏能力により、 それ以降の音楽家人生に花を咲かせることになるのである。